
先日製作した、
カリカリ梅とジャコのおむすび
刻んだカリカリ梅
+
オリーブオイルで炒めたじゃこ
食感が楽しい二者のフュージョンに
心がウキウキ躍ります!

おむすびを作って、
卵焼きとウインナーを焼くなどし、
ピクニック系夜ご飯にしました。
「お弁当」が大好きで、
このような夕飯を作ることを定期的にしております。
趣味の一つといえます。

おむすびは手間がかかるけれど、
やはり手間をかけた甲斐がある!
★米粒の集合体★
私も混ざりたい気持ちになります。

お弁当がテーマの時、
卵焼きは甘めにします。
出汁巻にしたり、
醤油味にしたり、
卵焼きは味に変化をつけることで飽きずに食べられるのが良いですね。
子供の頃は、卵が大嫌いだったわたし。
昔の自分が今の自分と同じ生き物ということが
信じられなくなる時があります。
脳が進化したり退化したりするという意味では、
あるいは細胞が周期的に生まれ変わっている件を含めても、
あの頃の自分と今の自分が同じ人間といえないかもしれません。
細胞が完全に入れ替わるのに4年の歳月を要す人体。
つまり
「約4年後の私」では、
今キーボードを叩いている指先も
PC画面を見つめている眼球も
疲労骨折して以降定期的に痛む股関節の骨すらも、
新しいものに入れ替わっているのです。
今が辛くても
楽しくても
生存過程では確実に変わっていく自分
全ての人間は、変わることが出来る!
ということです。
そう考えると
めちゃくちゃ清々しい。
「全然変わらないね」
例えば再会した誰かに心からそう言われたとしても、
その言葉は真実も嘘も含んでいない、
風のように曖昧で空洞のようなコミュニケーションといえるでしょう。
5年前の写真のあなたは、
現在のあなたと違う眼球を身につけています。
違う想いを胸にしまい、
今とは別の足や腕で暮らしていました。
「自分の歴史(人生)」とは、
自分の姿を記憶から継承している状態で、
ひと繋がりと言えるのか?曖昧です。
あとは、
変わったことに気づいていても
それを全く認めない生き方もあります。
変わりたいと願うことと、
今の自分を変えたいと思うことは、
ほとんど確実に叶う願望と言えます。
卵焼きを見ていると私は、
こんなことを考えてしまうのです。

おむすび
おにぎり
どちらでも良い言葉で
どちらを選ぶか
些細な言葉に現れる為人と生き様
生きるために食べる=消化器官の開口端から
思いを伝える"言葉"が出るなんて
何やらロマンチック構造ですなあ
おまけ

1日に一回くらい、
なんやかんやありつつも生きてきて良かったなー
と感じるのですが、
それは例えば
朝マックのクオリティの高さに気づけた時とか!
アメリカの映画やドラマを見ておりますと、
こういう朝食が無性に食べたくなりますねん。
Netflixのお勧めは
ブレイキングバッド、ファーゴ、ストレンジャーシングスなど
食材の命と生産者の皆様に、
働いてくださっている全ての皆様に、
今日も感謝です。